行ってみたいドイツの旧領ランキング
僕はかつてはドイツ領だったけど今は別の国になったドイツの旧領に非常に関心を持っています。
今回は個人的に行ってみたいドイツの旧領ランキングを皆さんにご紹介しようと思いま
す。
・第一位 エルザス=ロートリンゲン(現フランス領アルザスロレーヌ)
現在はフランス領になっているドイツ、ルクセンブルク、ベルギーとの国境沿いの地域です。
この土地はドイツ諸侯の中の一人が納めていました。
しかし、カトリックとプロテスタントの対立から始まった三十年戦争が1618年~1648年の間に勃発し、戦争終結時に締結したウエストファリア条約によってフランス領になりました。住民のほとんどがドイツ系でドイツ語由来の言語であるアルザス語を話す人々が暮らすこの地域は19世紀の国民国家の時代になるとドイツがこの地域の領有権を主張するようになり、ドイツとフランスはこの地を巡って争うようになります。
アルザスに住む人々は自分たちのアイデンティティに悩むようになります。
確かに身体的な特徴や話す言語はドイツ人に近いです。しかし長年のフランスによる統治によって政治、文化などはフランスに依る部分が大きいためフランスに対しても帰属意識はある。
プロイセン率いる統一ドイツと皇帝ナポレオン三世が統治するフランスとの間で普仏戦争が勃発するとドイツの圧倒的な勝利に終わり、皇帝ナポレオンはプロイセン軍の捕虜となってしまいます。
その後の戦後処理でアルザスロレーヌ地方はドイツに割譲され、ドイツ領エルザスロートリンゲンとなります。
この時の様子を描いた作品に「最後の授業」という作品があり、アルザスがドイツ領に編入された際フランス語を学校教育の場で教えることを禁じられ、最後のフランス語の授業が行われ、生徒も大人も耳を傾け終業の鐘が鳴ると先生がフランス万歳と書き残すというあらすじの作品です。
しかし、ドイツ語系の母語を持つアルザスの人々にとってフランス語はわざわざ学校で習わなければいけない言語でそこに住む人々の中にはフランス語を話すことができない人もたくさんいたことを考えるとややフランスの政治的な立場に沿ったものであるためやや読むときに注意が必要だと思います。
そして世紀をまたぎ第一次世界大戦でドイツが敗れるとベルサイユ条約の下で再びアルザス・ロレーヌはフランス領になります。
そして第二次世界大戦が勃発し、フランスがドイツに占領されると再びドイツに編入されます。ナチス政権下では、アルザスロレーヌやオーストリアを自国の領土として扱いながら一方でそこに住む人々を純粋なドイツ人でないとして2級市民扱いをしていました。こういったことは現代のそこに住む人々のアイデンティティ形成に大きな影響を及ぼしていると思います。
そして第二次世界大戦が終結すると再びフランスに編入されます。
現在この地域はかつて激しく争ったドイツ、フランス両国が現在はヨーロッパ全体の発展のために手を取り合う平和の象徴として意味づけられ、主要都市のストラスブールには欧州議会や、欧州人権裁判所などのEUの機関がおかれています。
ドイツとフランスの文化が交錯するこの街に足を運んでみたいです。
かつてプロイセン王国の首都がおかれていたこの街は、あの有名なカントもすんでおりバルト海沿いの地域に存在します。地図上に赤く塗られた地域に存在しており、現在はロシアの飛び地になっております。
かつてはプルーセン人というスラブ系の住民がいたのですがドイツ騎士団というゲルマン人の集団に征服され、征服者であるドイツ騎士団が被征服者であるプルーセンからプロイセンと名乗りました。
この地域はプロイセン王国にとっては中近世における首都であり、近代のプロイセン王国やドイツ帝国にとっても重要な地域でありました。
しかし、第二次世界大戦でドイツが敗れるとソ連軍が侵攻し、プロイセン地域はポーランドとソ連によって分割され、ケーニヒスベルクはロシア領と名前もカリーニングラードと改められました。ところが1990年にソ連が崩壊するとバルト三国が独立したことによりこの地はロシアの飛び地になりました。
この土地の見どころは何といってもソビエトの家でしょう。
こちらはかつてはプロイセン王の城があった場所に修復可能にも関わらずわざわざ別の建物を建てました。そのBefore,Afterがこちらです。
Before
After
見事な改悪リフォームでしょう。これをネットで見た当時は僕は高校生で共産主義ってやべー、悪趣味って思いました。
ちなみにこのAfterのほうの建物はソビエトの家とよばれ、完成間近なところに地盤が沈下し、建築中止になり人々はプロイセン人の呪いであると噂しているそうです。
あまりのひどい体たらくにカリーニングラードの市長が2011年にカリーニングラードの恥というコメントを残すほどです。
そのうち取り壊されるということだったので解体される前に見ておこうと思います。
第二次世界大戦に詳しい方ならポーランド回廊という言葉を聞いたことがあると思います。西プロイセン地域の中心都市で中世から栄えたこの地はヒトラーも回復したい第一次世界大戦の失地の一つだったのでしょう。ここを返すようにポーランド政府に強く迫ります。
10世紀末に誕生してから、ポメレリア、ドイツ騎士団、ポーランド、プロイセン、再びドイツと、さまざまな政権の支配を受け、激動の歴史を刻んできたグダニスク(=グダンスク)。その一方で、一大貿易都市として繁栄と衰退の両方を経験してきました。第二次世界大戦の攻防戦で大半が破壊され、ほぼ廃墟と化してしまった旧市街ですが、戦後、資料をもとにみごとに復元され、現在ではポーランドを代表する美しい街並みのひとつに数えられています。
古都へと続く大事な拠点であるとともに中世から続く美しい街並み、第二次世界大戦で大部分が破壊されながらもなんとか再建したこの街の景観は美しく歴史を感じるので行ってみたいと思いました。
まとめ
コロナ終わったらまとめて行きたいです。