チャンスは2度とは訪れない。

 中学、高校時代私は東大、早稲田、慶応といった都内の名門大学を目指していた。

ところが私の成績とは関係なく周りの大人はかなり保守的な思想に染まっていて私の成績とは関係なく否定的な見方をされていた。

そのことに対して強烈な不満を持っていた私は周りの大人の目をかいくぐり慶応の模試を受け、親にかなり交渉を重ねて慶應義塾大学の合格を勝ち取った。ところが私の父は国立大学に進学させようと熱心に働きかけてきたため、出て行ってもらう!といった剣幕で非難してきたため当時の私はびびって併願先の国立大学に進学することとなった。

専門家としてもっと深い知見を得たり、自分の思い描くキャリアに近づける機会を大きく失ってしまった。

あの時もっと理解のある大人にもっと相談しておけばよかった。肉親とはいえ話の通じない人間に相談し、心無い言葉を投げつけられ時間を無駄にしてしまった後悔はなかなか消えなかった。

ここで身をもって学んだのは真の知とはIQや学力偏差値ではなく決断することにあるのではないかと私は思う。

なぜならいくら知っていようと論理的な思考ができても自分にとって最良の選択をするのに繋げられなければ宝の持ち腐れだからである。

楚漢戦争時に将軍として活躍し、その後は斉王に封じられるも謀反の疑いをかけられ

准陰侯に格下げされる。その後謀反を計画するも、一族もろとも処刑される。そのときに韓信は「あぁ蒯通の言葉を聞いていればこんなことにはならなかったのに」と言ったとされる。

これはこの蒯通はかつて韓信劉邦項羽と対等の立場になって自身が天下を修めるようにと勧めたことがある。これはもし韓信の主君である劉邦が天下をとれば韓信は脅威であり、抹殺されることを予想し、韓信の力をもってすれば天下をとれると考えてのアドバイスであった。

しかし韓信は自分を引き立てた劉邦への義理から最後までその決断ができず殺されてしまった。

ここから狡兎死して走狗煮らるという故事成語が生まれた。

これは優秀な猟犬は獲物である兎がいなくなれば煮られて食べられてしまうという意味であり、そこから転じて優秀な人間や道具は目的を果たしたら用済みになってしまうといった意味で用いられる。

この故事成語は19歳当時知ってはいたがなかなか生かすことが出来なかったので今後の人生の岐路において生かしたいと強く思うばかりである。